トップ > 刀工 秀平について > 自分の中にある特定のスペースについて

自分を繊細に見つめる。
生きていく中で、何をするにも、それは出来ることである。
つまり、生きていく中であらゆることが、修行になり得る。
そして、私にとっての‘‘刀鍛冶になるという選択’’は、人生という修行の大部分を作刀に充てるということを意味している。

人生の中のあらゆる場面で‘‘自分を繊細に見つめる’’と言っても、それはもちろん、いつでもただ単に自我を見つめているということではない。
自我を見つめることも、自分の状態を把握しておくということの一部としては重要ではある。
けれども、ここで言う‘‘自分’’というのは、表層的な自我はそのごく一部に過ぎない。
では何を見つめるのかといえば、私にとってとりわけ重要なのは、自分の中にある、ある特定のスペースを見つめることである。
意識を向けるという意味では見ることに似ているので見つめるとは表現したが、それは感触に近い。
そのスペースに提示されるものは、私にとって重要な意味を持っている。

その一つは、原理の働きである。
何かを知るということは、その原理の働きを繊細に味わうことであると、私は思っている。

そして時に、その原理が指し示すものは、私が保持するべき答えそのものである。
そういう時、色々なものごとを整理していく中で、理由は後から分かって来る。

このスペースは誰の中にもあると思う。
ただ、その特定のスペースは、見つけるだけではなかなか有効には機能しにくい。
ある種の適切な苦しみという対価を支払って、そこにある遮蔽物を整理し整備することで、そのスペースは有効に機能し始める。

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