トップ > 刀工 秀平について > 刀鍛冶を志したきっかけ

高校生の時に、東京国立博物館で開催されていた国宝展で「名物 観世正宗」に出逢い、導かれるように、刀鍛冶を志した。
そこにあったのは、自分という存在の深いところに生じる直感のようなものである。
刀が欲しいのではなく、刀が好きだから刀に関わる仕事をしたいというのでもなく、こういうものを作れる人間になりたいと思った。

直感では特に、まず初めに答えがある。
そしてその理由というのは、あとから段々と分かってくることも多い。
絵でも彫刻でも、凡そ人の作った物には、その作者自身が現れる。
それは、表面的な性格だけでなく、その人の根源的な色合いのような、その存在のかなり奥深いところのものが現れるように思われる。

今思えば、私がその時その刀から感じたものは、その作者のある種の修行者としてのレベルの高さと(修行者としての肩書きを持っていたかは別として)、意識の純度の高さであったのだと思う。
その時は知らなかったことであり、考えもしなかったことであるが、一説には当時の金属加工業は修験者等のいわゆる修行者が担っていたという説もあるようで、必ずしも全員というわけではないと思われるが、妥当な説であると私は思っている。

「今みたいに科学が発達していたわけではないのに、昔の人はよくこんなにすごいものを作ったものだね」というような言葉をよく耳にする。
しかし、私は、こう思う。
科学が答えそのものなのではない。
科学というのは一つのものの見方である。
いわば、山頂を目指すための登山道の一つのようなものである。
とするならば、他にも登山道はある。
その一つは、感覚を磨き高め、原理そのものを洞察することであると思う。
それゆえ、先の、金属加工業を修行者が担っていたとする説にも納得しているのである。

古の名工達が原理を洞察することによって名刀の数々を生み出したのだとすれば、私の目指すところも自ずから定まって来る。
古名刀のような刀を作ること、それは私の目的ではない。
私の目指すところは、人間として古の名工達に近づくことである。
そしてもちろん、私が刀鍛冶である限り、その時の自分に相応な刀が生まれることになる。

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